第二次世界大戦とは?1919年6月28日、第一次世界大戦のドイツに関する講和条約、ヴェルサイユ条約が締結され、翌年1月10日同条約が発効。ヴェルサイユ体制が成立した。その結果、ドイツやオーストリアは本国領土の一部を喪失し、それらは民族自決主義のもとで誕生したポーランド、チェコスロバキア、リトアニアなどの領土に組み込まれた。しかしそれらの領域には多数のドイツ系住民が居住し、少数民族の立場に追いやられたドイツ系住民処遇問題は、新たな民族紛争の火種となる可能性を持っていた。また、海外領土は全て没収され戦勝国によって分割された。また、共和政となったドイツはヴェルサイユ条約において巨額の戦争賠償を課せられた。また、ドイツの輸出製品には26%の関税が課されることとされた。1922年11月、ヴェルサイユ条約破棄を掲げるクーノ政権が発足すると、1923年1月11日にフランス・ベルギー軍が賠償金支払いの滞りを理由にルール占領を強行した。工業地帯・炭鉱を占拠するとともにドイツ帝国銀行が所有する金を没収し、占領地には罰金を科した。これによりハイパーインフレーションが発生した。軍事力の無いドイツ政府はこれにゼネストで対抗したが、クーノ政権は退陣に追い込まれた。マルク紙幣の価値は戦前の1兆分の1にまで下落し、ミュンヘン一揆等の反乱が発生した。
戦勝国のイギリス、フランスは1920年に国際連盟を創設し、現状維持を掲げて自ら作り出した戦後の国際秩序を保とうとしたが、国力の衰えからそれを実現する条件を欠いており、国際連盟の平和維持能力には初めから大きな限界があった。戦後秩序維持に最大の期待をかけられたアメリカは、内政上の理由から伝統的な孤立主義(モンロー主義)に舞い戻り、国際政治の舞台から退いた。
1930年5月、アメリカでは対イギリスとの戦争に備え、主にカナダを戦場に想定したレッド計画が作成された。計画は1935年にも更新されたが欧州大陸でのナチス・ドイツの台頭により欧州の情勢が激変し、1939年には更新されなかった。アメリカはカラーコード戦争計画において、各国との戦争を想定した計画を立案していた。その後計画は第二次世界大戦を想定したレインボー・プランへと発展していく。
「第二次世界大戦」のスレッドを作成する
友達に教える
URLをコピー
いま検索されているキーワード
人気のキーワードは随時更新中
本日のキーワード