吉田拓郎とは?
1970年代後半:フォーライフ設立・吉田拓郎に改名 (1975年 - 1979年)
- 1975年
詳細は「#つま恋オールナイトコンサート」の節を参照
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12月、オールナイトニッポン最終回で四角佳子との離婚を発表。
- 一方的な形の離婚宣言だったため、女性誌などからは横暴な男として激しくたたかれた。
- この年には他人への提供曲に多くのヒット曲を残した。先述のようにかまやつひろしのアルバム『我が良き友よ』のタイトル曲はオリコン1位を記録し、他に「歌ってよ夕陽の歌を」(森山良子)、「いつか街で会ったなら」(中村雅俊)、「あゝ青春」(トランザム)、「風の街」(山田パンダ)、「明日の前に」(堺正章)、「寺内貫太郎一家2」(1974年、TBS)の挿入歌「ひとりだち」(白鳥哲)、「両国橋」(松平純子)、「今夜はごきげんな夜」(ケイ・アンナ)、フジカラーのCMソング『私は小鳥』(山口百恵歌、ソノシート、非売品)などを手掛ける(シンコーミュージック 2007, p. 216) 。
- 「歌ってよ夕陽の歌を」は森山良子の新境地を切り開き、再び"フォークの女王"に戻した曲。
- 「あゝ青春」は中村雅俊・松田優作主演の刑事ドラマ『俺たちの勲章』の主題歌、「いつか街で会ったなら」は挿入歌。「あゝ青春」は、拓郎の歌唱でこの年のつまコンサートのオープニングで歌われた。
- 「風の街」は当時、人気絶頂だったアイドルたちが、拓郎ゆかりのペニーレインなどを舞台に繰り広げるTBSの青春ドラマ『あこがれ共同隊』の主題歌で、視聴率は振るわなかったが、拓郎の他、フォークシンガーが大挙劇中に出演しアイドルたちと絡むという芸能界の新時代到来を示す内容ではあった。
- 1976年
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3月25日、シングル『明日に向かって走れ/ひとり思えば』発売。
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3月、久世光彦が初めて音楽番組の演出を手がけた『サンデースペシャル/セブンスターショウ』(TBS系)に出演。
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4月、フォーライフ第1回新人オーディションでグランプリを獲得した川村ゆうこをプロデュースし、拓郎作品『風になりたい』でデビュー。
- このオーディション(1975年9月 - 10月まで募集実施)には、全国から2483本のテープが集まり川村の他、原田真二、小林倫博、長戸大幸ら、10人が最終選考に残った。
- 長戸はこれが縁で阿久悠の事務所に入りキャリアをスタートさせる。
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11月、拓郎の発案で小室・泉谷・陽水ら4人のオムニバスアルバム『クリスマス』発売。
- 初回プレス30万枚、オリコンで1週のみ1位となったものの、累計が10万枚にも満たず、フォーライフの屋台骨を揺さぶる事となった。
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12月5日、シングル『たえこMY LOVE』発売。
- 1977年
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3月、フォーライフは2年目の決算で8億円の赤字を出す。
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4月25日、カバーアルバム『ぷらいべえと』を発売。
- これはオムニバスアルバム発案者の拓郎が赤字の埋め合わせのため発売した。
- カバーアルバムとして史上初のオリコン1位を獲得。
- 皮肉なことに、この年フォーライフのアルバムで最大のセールスを記録した。
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6月、小室に代わり、フォーライフ2代目社長に就任。
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7月25日、シングル『もうすぐ帰るよ/Voice』発売。
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9月10日、井上陽水が大麻所持(大麻取締法違反容疑)で逮捕。
- 社長としての初仕事に記者会見で平謝りし、嘆願書を集めて東京地検に日参するなど陽水の救済に尽力した。
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12月10日、シングル『カンパリソーダとフライドポテト/あの娘に逢えたら』発売。
- 収録曲「カンパリソーダとフライド・ポテト」の影響でカンパリソーダが認知された。
- この年、キャンディーズが解散を発表。拓郎は「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」他を提供し、渡辺晋からの依頼といわれる“キャンディーズ大人計画”に応えた。
- また前年のフォーライフ第1回新人オーディションに応募してきた原田真二のプロデュースを手がけた。
- 1978年
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4月、セイ!ヤングパーソナリティ(〜1980年3月)。
- 全ラジオ在京キー局の深夜放送を制覇した唯一のパーソナリティになった。
- 1979年
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2月、『たくろうオンステージ第二集』収録の「ポーの歌」が浜口庫之助の曲の盗作と報じられる。
- 拓郎自身は初めからオリジナル曲とは言っていなかったが『たくろうオンステージ第二集』を無許可でリリースしたエレックが吉田拓郎作詞・作曲とクレジットしてしまったというのが真相。
詳細は「#篠島コンサート」の節を参照
- 秋から全国ツアー。このツアーでアンコールが単なるお約束と化していることに異を唱え、アンコールをやらなかった。しかしこのツアー1回限りだった。
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10月10日、シングル『春を待つ手紙/外は白い雪の夜』発売。
- 『外は白い雪の夜』は、ダイアモンド☆ユカイが1997年のアルバム『Le Cinema』でカバー。有線でリクエスト1位になったという。
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アンコールが叫ばれたが、拓郎は70年代最後の夜のステージには二度と姿を現さなかった。
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出典:wikipedia
2012/05/20 10:10
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