吉田拓郎とは?
作曲法
- 日本語による曲作りの定着
欧米からの輸入であるフォークやロックは、1970年代初め頃まで、そのまま英語で歌うべきか、日本語で歌うべきか、といった議論がまだされていた。"日本語ロック論争"(はっぴいえんど論争)などが有名だが「新譜ジャーナル」の編集長を務めた鈴木勝生は、「日本語でうたう運動そのものが影を薄め、日本語でうたうのが当たり前という時代を迎えたのは1972年、吉田拓郎の「結婚しようよ」「旅の宿」の二曲の大ヒット以降で、そのためか、1970年9月から東京日比谷野外音楽堂で年に二回開かれ、多くのフォークとロックのアーティストを育てた"日本語のふぉーくとろっく"のコンサートも1972年5月で終了した」と論じている。
- 拓郎節とも呼ばれる個性の強いメロディライン
- 拓郎のフォロワーが多く現れた理由としては、拓郎の曲がとっつきやすいといわれるテンションが少なくシンプルなコード進行であり、それにも関らず非常に個性の強いメロディラインで構成されていることが考えられる。
- フォークっぽい雰囲気を持ちながらポップでメロディアスな楽曲は自らのオリジナル・ナンバーはもとより、他アーティストへの提供曲でも拓郎節は滲み出ている。
- 拓郎節、拓郎調とも称される独特のコード進行については、小室等との対談や、小室哲哉との対談でその一端を言及している。
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近田春夫は著書の中で、「無理のない曲で、シロウトにでも作れそうな、しかもプロを感じさせる作曲家こそ天才で森田公一と拓郎にそれを感じる」と述べている。
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ピチカート・ファイヴの小西康陽は、好きな作曲家として"歌謡曲作家としての拓郎"を挙げている。
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喜多条忠は、拓郎を「当代一のメロディ・メーカー」と評価している。
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小林武史は、「あくまでこれは僕の見方ですけど、『吉田拓郎という作曲法』の人と言っていいんだと思う。何しろ、ものすごいオリジナリティがある。詞がウンヌンより曲作りがものすごい。それは『襟裳岬』一つ取っても分かる。拓郎さんもボブ・ディランから影響されているんだろうけど、Aメロ→Bメロ→サビじゃない構成も普通にあって、"何なんだろう、あれ?"って思う」と話している。
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福田和也は、「吉田拓郎はメロディメーカーとしても、すごい独特。『襟裳岬』は本当に"話し出す"みたいなどこにもないメロディラインで完璧にオリジナル、山田耕作のあとは吉田拓郎しかいないんじゃないか、と誰かが書いてた」などと話している。
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佐藤良明は著書の中で、日本語によく馴染み、私的コミュニケーションの雰囲気を作りだす拍どりを「しゃべり拍」と名づけ、「これを1970年代の日本のうたに浸透させたのは、この拍どりを多様した拓郎らフォークシンガーの功績」と論じている。
- なお、拓郎自身は日本の作曲家として、浜口庫之助、平尾昌晃がいいと言ったことがある。
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出典:wikipedia
2012/05/20 10:10
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